教育のほうが大切。
http://d.hatena.ne.jp/aisyuno_3rdcla/20030923
「フィルタリングは子供への危険を増大させる」*1という説もある。
歴史上かつて無いほど清潔な環境で育てられた子供たち*2が、歴史上かつて無いほどのアレルギーを持っている、という矛盾。これは生態防御機構が正確な学習をする機会を得られなかったがために起こっている。無菌環境は時に危険なのだ。
とりあえず、インターネットに接続できるならばコミケ以上に有害なリソースにより簡単にアクセスできてしまうわけで、やるべきことは他にあるような気がしました。
*1:ref: http://www.news.uiuc.edu/gentips/03/09filter.html
*2:1980年代以降は間違いなくそうした世代。
Movable Type 設置memo。
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20030918
ただし、MTは内部的にリンクファームのような働きをするため、ぐぐるさんをだましてしまう可能性があります。→SEO的にこのサイトが極めて優秀である根拠
ひっそりやりたいひとはきちんと検索避けをしましょう。
(追記)
やっぱり検索にかかりやすいようです。
http://depo.corp.jp/archives/000108.html
http://game.chips.jp/hgl/archives/000063.html
交渉の決裂点。
http://d.hatena.ne.jp/kanryo/20030923#p5
ゲーム理論に多大な貢献をしたと言われるナッシュの業績のひとつに、交渉の分析がある*1。
ここにおいて得られる重要な知見は、「交渉の決裂点」が両者の交渉力に影響するということだ。
つまり、交渉が決裂した場合に得ることが出来るモノの価値が高いプレイヤーのほうが交渉においても積極的に攻めに出られるため、交渉力が高まり、結果として、契約成立の暁に得られる利得が増えるのである。
ここで、国民と官僚になりたい若者との間で交渉ゲームを設定しよう。国民は限られた予算の中でより優秀な若者を雇いたいとおもっている。若者はより収入の高い仕事に就きたい*2と思っている。
若者の交渉の決裂点は、他企業へ就職した場合の収入と言うことになる。
ここで、競合しうる業種は外資系・コンサル・金融・商社などの極めて高給取りが多いとされる業種である。よって、若者の交渉力はいよいよ高まる。
要するに、優秀な若者をこき使うためには、それなりの対価が必要と言うことです。
『ひとを“嫌う”ということ』*2
<嫌い>を哲学する。
本書は「嫌い」という感情にまつわるこもごもを、徹底的に考察する一冊である。ただし、議論の俎上になるのは、「因果関係のある」<嫌い>ではない。日常に潜むさりげない嫌いや原因不明の嫌悪感、そうしたものが対象である。
和を尊しとする日本社会において、ひとを嫌うと言うことは忌むべきこととされてきた。しかし、それでは人生の実り多き一面をすべて捨ててしまうことになるのではないか?という問題提起の書である。
彼は嫌いの原因を8つに分類する。
- 相手が自分の期待に応えてくれないこと
- 相手が自分に危害を及ぼす可能性があること
- 相手に対する嫉妬
- 相手に対する軽蔑
- 相手が自分を「軽蔑している」という感じがすること
- 相手が自分を「嫌っている」という感じがすること
- 相手に対する絶対的な無関心
- 相手に対する生理的・観念的な拒絶反応
「好き」に理由が無いのと同じくらい「嫌い」には理由がない。理不尽に好き、ということがあれば、理不尽に嫌いということもあろう。
いずれにせよ「嫌い」ということは、相手に対して自分のリソースを割いているわけで、「好き」と表明することと同じくらい能動的な行為なのかもしれない。
愛情の反対が無関心だとすれば、嫌いの反対は何なのでしょう?