『ひとを“嫌う”ということ』*2
<嫌い>を哲学する。
本書は「嫌い」という感情にまつわるこもごもを、徹底的に考察する一冊である。ただし、議論の俎上になるのは、「因果関係のある」<嫌い>ではない。日常に潜むさりげない嫌いや原因不明の嫌悪感、そうしたものが対象である。
和を尊しとする日本社会において、ひとを嫌うと言うことは忌むべきこととされてきた。しかし、それでは人生の実り多き一面をすべて捨ててしまうことになるのではないか?という問題提起の書である。
彼は嫌いの原因を8つに分類する。
- 相手が自分の期待に応えてくれないこと
- 相手が自分に危害を及ぼす可能性があること
- 相手に対する嫉妬
- 相手に対する軽蔑
- 相手が自分を「軽蔑している」という感じがすること
- 相手が自分を「嫌っている」という感じがすること
- 相手に対する絶対的な無関心
- 相手に対する生理的・観念的な拒絶反応
「好き」に理由が無いのと同じくらい「嫌い」には理由がない。理不尽に好き、ということがあれば、理不尽に嫌いということもあろう。
いずれにせよ「嫌い」ということは、相手に対して自分のリソースを割いているわけで、「好き」と表明することと同じくらい能動的な行為なのかもしれない。
愛情の反対が無関心だとすれば、嫌いの反対は何なのでしょう?