http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20040810#answertoMittySan

丁寧なお返事ありがとうございます。読んでいく中で、わたし自身の至らぬところ(というか、キーワード論客の陥りがちな罠)をいくつも発見できましたので、大変有意義でした。

まず、ご質問の件ですが、yms-zunさんのお考えのようにいずれも"Yes"です。

わたしはキーワードを統制しようとは思っていないですし*1、一個人の力ではそれは事実上不可能だとも思います。さらに言えば、したところで意味がない、というのがまっとうな感覚でしょう。わたしのやろうとしていることは、「道」の喩えで言うのならば、「この界隈の道には「クマ」が出ます」という立て看板を立てて回ること、にあたると思います。立て看板を無視して、道を作るのを止めようとは思いませんし、できません。が、警告しておくことには一定の意味があると思います。その界隈に「地雷がある」と知っていて「道を通す」のならば、その結果「地雷」を踏んだとて「自己責任」の範疇でしょう*2。(関連:「ガイドラインへの提案」・ttp://guide.g.hatena.ne.jp/gliff/comment?date=20040805#c・ttp://guide.g.hatena.ne.jp/sugio/20040805#p2)

こうした活動の盲点はyms-zunさんご指摘のように、自分の守備範囲を見失いがちだ、ということでしょう。そして、それは容易に争いに転化します*3。とりあえず、コントロールしよう、という風に傾き始めたらかなり危険な兆候と言えますね。気をつけたいところです。

(追記)

http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20040814#res

yms-zunさんよりお返事をいただいております。

議論に限らずコミュニケーションにおいて危険なのは、「この人には何を言っても無駄だ」と諦められてしまうことだと思います。それを踏まえると、どんなに辛辣な言葉であっても「届くかもしれない」とわたしに対し投げかけてくれた言葉に対し、感謝しこそすれ怒ることなどありません。

自分の至らぬところは自分では見えにくいものです。今回の件も、自分の未熟な部分を見せ付けられた思いです。しかしながら、そうした点をずばりと指摘してくれる方がどれだけ貴重なことか、は歳を経るにつれわかってきたつもりであります。

まだまだ未熟者ではありますが、今後とも是非よろしくご指導ください。

*1:評議会に投げるために議論を整理したり、それについて自分の意見を述べたりするのは「統制」のうちに入らないでしょう。仮に、わたしが統制しようと言う意図の下、議案を出したとしても評議会という多数の信認を得る装置を介してそれが作用する以上、危険なものはそこで排除されるはずですから、やはり個人の意図で「統制」などできないはずです。

*2:例えば、名詞縛りが撤廃されたから形容詞を嬉々として登録してみれば、不要票が多数入ってがっくりという事態や、二文字のキーワードを登録してみたら古参ユーザから「誤爆が多いぞ」としかられてみたりする事態とか、はガイドラインに書いておくことである程度抑制できると思います。ルールの範囲内で起こりうるユーザ間の摩擦を未然に防ぐと言う発想です。

*3:例としては、ttp://d.hatena.ne.jp/yos_piyo/20040812#p7。『「てんでだめ!やり直し!」「失敗例としか思えません」みたいなコメントでは、何故削除されたのかよくわからないだろうし、いらぬ反感を買うだけと思います。』