"not in my backyard"とはちょっと違うけれど、状況としては良く似ている話。[ id:kanryo:20030724#p2 より]

しかし、給与=労働生産性の社会だと、若い人の新人教育はどこが受け持つことになるのだろう。圧倒的に労働生産性の低い人間に、社会性をたたき込む作業。あるいは当該業種の基本をたたき込む作業。そういうことは大学や専門学校が担うべきなのだろうか。

そこは非常に良いポイントだと思います。

そうした新人教育はいわゆる「公共財」ですので、そのコストを負担した人だけでなく周りの人までもが便益を得ることができます。それをいいことに自らは新人教育を行わずにいいとこ取りする企業(=フリーライダー)が必ず出てきます。

せっかく新人を教育しても、使いものになる頃には、もっと給与がいい別の会社に移られてしまっては、企業としては丸損なので、だれも新人教育にお金をかけなくなります。

こうなるとスパイラル式に状況は悪化して、結果的に誰も新人教育を行わなくなってしまいます。

これが『社会的ジレンマ*1』の悪循環です。

これはみんなにとって望ましく無い状態がナッシュ均衡として達成されてしまう例にあたります。つまり、「まわりの人が同じ行動を取り続けるならば、自分が行動を変える理由は無い」という状態にはまり込んでしまうのです。

この悪い均衡から脱却するために、政府の果たすべき役割は大きいと思われます。なぜならば、政府は①利得を変える(つまり、「新人教育」という財を生産するコストを補填してやる、とか)もしくは②強制力を働かす(均衡から均衡へ一気に移る)という手段を持っているからです。

上の二つは実現可能かどうかは疑わしいにしろ、第二新卒市場や転職市場の発展が新人教育のジレンマを解消してくれる可能性があります。

とりあえず、現在のところは、新人教育はわりときちんと行われているというのが事実だと思われますが、今後はどうなるか分かりません。

急を要すべき問題なのが、御指摘に有る「新人教育を受ける機会を得なかった人々」の存在についてです*2

例えば、フリーター。こうした職業を選択した人達は、そうした新人教育を受けない可能性があります。新人教育はコストがかかる投資ですので、そうしたコストは誰も負担したがらないため、こうした人々は将来的に失業者となる可能性が極めて高いわけです*3。問題がさらに複雑になるのは、就職難でフリーターをせざるを得なくなった若者がいる、ということでしょう*4

日本企業の雇用ストックの調整は、自然減待ち→採用減らし→リストラの順番で行われます。バブル期以後、中高年の職を守るために、採用を減らした結果、「新人教育」という「公共財」の生産能力は著しく衰えてしまいました。

中長期的な影響を考えると、若年失業の問題は中高年の失業よりもむしろ問題とされて良いはずです。

こうした失業者予備軍の増加は、労働生産性の観点のみならず、担税力の低下を通じて国力の低下に直結することは間違い無いわけですから。

*1:人々が自分の利益や都合だけを考えて行動すると社会全体としては望ましく無い状態に陥ってしまうこと。「n人囚人のジレンマ」ともいう。

*2:この問題については『仕事のなかの曖昧な不安』が詳しい。

*3:フリーター第1世代(40歳前後)の苦境はAERAの特集に詳しかったですが、こうした表現は決して過激では無いと思われます。

*4:詳しくは『新卒無業。』参照。