私信。

匿名さま

投げ銭ありがとうございました。自分はそれほど立派な仕事をしているわけでもないので、過分なお言葉をいただき大変恐縮しております。

お返しに代えて、わたしの好きな文章を少し引用させてください。

高橋伸夫虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ』より

仮に、君が優秀な社員だったとしよう。たぶん、君の周りの人は、折にふれ君を頼りにして、「生活」しているはずである。判断に迷ったとき、トラブルに巻き込まれとき、新しいアイディアを必要とするとき、あるいは職場内の人間関係に疲れ果てたとき、君は頼られる存在なのだ。部下や後輩だけではない。先輩や上司までもが君の力を当てにしている。君が課長や部長の職についていなくたって「この課(もしくは部)は○○君でもっている」と周りの人は思っているはずである。

しかし、

君は、「XXプロジェクトはわたしがやった仕事です」、あるいは、「XXはわたし一人でやりました」とは決して口にしてはいけない。実際にはそうかもしれないが、たとえ本当だとしても、それを口にしてはいけない。それを口にしたとたん、状況は一変してしまう。「だったら、一人でやれ」と周りの人は反応するだろう。そして君は悟るのだ。コピーをとってくれたり、書類の束をきれいに整理してファイルしてくれたり、お客さんにコーヒーを入れてもってきてくれたり、会議後ホワイトボードを真っ白にふいてくれたり、机の横のくず入れを時々からにしてくれたり、切れかけた蛍光灯を換えてくれたり、郵便物をポストに入れてくれたり、席をはずしているときにかかってきた電話をとってくれたり、頼みもしないのに飲み会の設定をしてくれたり、プレゼンを前にして恥ずかしくなるようなくだらない冗談を飛ばして緊張感をほぐしてくれたり・・・。要するに、まるで空気のように君をサポートしてくれる人々が君の周りにいたおかげで、君は他の人よりも創造的で付加価値の高い仕事に集中できていただけなのだ。君は周りの人に支えられて、ようやく仕事をしている。君を頼って、君にぶら下がって生きているように見えたかもしれないみんなが、実は君をサポートしてくれていたおかげで、君は「優秀な」社員でいられたのだ。

(略)

優秀な人間は、やろうと思えばなんでも自分で出来てしまう。しかし、一人で出来る仕事なんて、試験を除けば、この世に何一つ存在しない。(それとて、受験生の多くは親や家庭のサポートや支えがあってこそ、受験勉強に打ち込めるのだ。つまり、試験を受けること自体は一人で出来ても、高い点数を上げることは一人では出来ないはずだ。)この世のすべての仕事が共同作業であり、誰かと一緒に営んでいくものなのだ。そのことを若者、特に優秀な若者には皮膚感覚で理解してほしいと心から願っている。

わたし自身がよい仕事をはてなに対して出来ているとすれば、それは他のユーザさんたちのおかげでしょう。

これからもよろしくお願いします。