http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20031108#p5

裏に人間関係という、ある種ややこしい問題があったにしても、私怨→公憤(疑似公憤)に至るまでの道は、なるべく無理矢理感がないようにしたいものです(←ここらへんには自戒も込められてはおりますが)。

http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20031229#p1

まさにこの言葉が当てはまる場面だと思いました。

公憤(キーワード名詞主義を貫徹すべき)という主張自体には見るべきものはあっても、それが私怨から来ているものではないか、と判断されるうちは、まともな議論にはならないと感じています。

逆に、私怨の部分が見えなければ、今回の問題提起は有益なもの(=世界を変える確信的テロリズム)たりえたでしょうに。