早稲田的。
http://lovelovedog.cool.ne.jp/
嫌いなものの一つに、閉鎖空間というものがあります。人数は多い少ないあっても、とにかくその周辺だけで独自の論を展開しあってて、他人はお断りみたいなやつ。
あと、やたらと自分の意見をさも一般常識であるかのように語るヤツとか、聞いてもいないのに色々な事を話してきて、さも自分が博学であるように見せつけようとするヤツ。早稲田的な感じですね。
どちらも、中学時代の体験から発生したものだと思うのです。
(私は中学生になった当初、某有名私立進学校に通っていました。2年で辞めました。別に成績とかが直接的な原因になって辞めたわけじゃないですが。ただ、このままじゃ自分はダメになると思っただけです。)
2年間で様々な経験をさせてもらいました。私の周りにいた人間は、上で挙げたような人間がやたらいた気がします。
で、なんでこんなこと書いたかというと、はてなに最近そんな感じの人が増えてきてるそうです。携帯で書けるという利点がもしはてなになかったら、昔の私ならさっさとさるさる日記あたりに移動してたような気がします。
(「 」2003年10月7日)
早稲田的という部分でたかがしれてるという意味になりそうだ。(愛・蔵太)
もうひとつ。
http://d.hatena.ne.jp/bmp/20031019#p2
民衆から出たはずの早稲田人より
生まれてから貴族でありつづけた慶応人の方が
遙かに民衆に近くあり、
特権的立場から民衆を蔑視するような
嫌らしい視線を感じさせるのはそのほとんどが早稲田人であり
そういう視線を感じる時、必ずそこに早稲田人が居た。
おまけ(『ひとを“嫌う”ということ』)。
例えば、育ちの悪い人を嫌うのが貴族だと思ったら大間違い。貴族は育ちの悪い人との付き合いが余りありませんから、普通は嫌う余地がそれほど無いのです。育ちが悪い人をもっとも嫌うのは育ちの悪い人。
シンデレラを嫌うのは、王や王妃よりもむしろ御殿女中たちなのです。
ようやくにして上流社会に到達したなりあがりものは、同じように下賎からたたき上げたものを嫌う。他人の甘えを嫌うのは自分が甘えたい人。教養の無いものを嫌うのは、自分がちょっと前までは教養が無かった人です。
美人は醜男をそれほど嫌わない。醜男を嫌うのは醜女です。