ボトルメール的はてな。(http://d.hatena.ne.jp/yhvh/20030916#p10 or http://d.hatena.ne.jp/nyah_emu-hara/20030917#p2)

web日記の本義は、オフラインで身近な人たちとのコミュニケーションの延長として、ネタ(→その人の主観で切り取った世界)を公開することに有る。そして、それこそが両者の世界を統合する唯一の道である。

しかし、「その人の主観で切り取った世界」をコレクションしたものとしてのweb日記観もあるわけで、そちらから入るともはやオフラインが「錨」として機能しない。実際、この日記ではオフラインの内容に乏しい。それは中の人(id:mitty)が両者を統合しようという意思に欠けているせいかも知れない。

そして、「錨」を欠いてしまうと

しかし現実に、僕はここをレントし日記をつけている限り、その意味ではがんがんマナー違反を犯し、どんどん破滅に向かっているような気がする。

ということになるわけでして。

つまり、現実世界において取り交わされる会話というのは、当事者同士の親密度というパラメータの関数になっているのだが、日記上のそれは、文脈を欠いているため、そうはならない。さらに、日記上では開示してよい内容と開示すべきでない内容のラインの水準がさがりがちになる。だから、われに返ったとき、正常な距離感覚が適用されて気恥ずかしく思われるのだろう。

まあ、羞恥プレイの一種でしょうか(w。

ところで、現実とのリンクを外したところにあるはてなダイアリの面白さは「ボトルメール」的働きにあるのではないでしょうか?

わたしの場合、特定の人を指して読んで貰いたいと思っている記事は実は少なくて、それこそ「ボトルメール」的に誰に読まれるとも知らない手紙をwebの海に向けて流しているような感じです。さらに、この日記はいわば砂浜に落ちている綺麗な石を集めて、その横にコメントをつけて悦に入っている子供のようなものです*1

仮にそのような発信方法を取ったとしても、同種の嗜好を持った人には拾ってもらえるのが不思議で、そして、面白いな、と思います。

それが楽しくて、知り合いに見られているという「リスク」を犯しつつもはてなを延々と続けている、のかもしれません。

p.s. にゃーM原(id:nyah_emu-hara)さん、御迷惑おかけしました。