礼儀作法保証資格の話。

http://d.hatena.ne.jp/rain1/20040117#p1

梶井厚志戦略頭脳』(http://www.kier.kyoto-u.ac.jp/~kajii/senryakuzunou.htm)より

コストをかけるとは、多額の金銭を消費するということを必ずしも意味しない。そもそもシグナルを見るほうには、そこに費やされた正確な金額などわかるはずもないからだ。相手に信頼させるためのコストとは、シグナルを発するための「手間」である。「手間をかけている」という印象が相手に伝われば、コストがかかっていると思われて、シグナルの信頼度が増し、効果を発揮するのだ。

(略)

さて問題。今ここに、手書きのPOP広告と印刷されたPOP広告がある。どちらもその本のよさを語り、「今、売れてます!」というメッセージつきだ。読者ならば、どちらをより信頼するだろうか?

こうたずねられれば、多くの人は手書きのPOP広告を選ぶだろう。それは、人の手で書いてある分、手書きのPOP広告の方がよりコストをかけられており、それだけ「売れています」というシグナルの信頼度が高いはずだからだ。売れてはいない本、面白いと思っていないような本について、わざわざ手書きで何枚もPOP広告を作るはずがないからだ。知らず知らずのうちに、シグナリングのコスト原則を応用してわたしたちは判断しているのである。

しかし、サンマーク出版をはじめ、いくつかの出版社では、サインペンなどで書いた手書きのPOP広告を、カラー印刷して書店に配布して使っているという。近年のカラー印刷技術の進歩は驚くべきもので、カラーのPOP広告を見ただけでは、それがカラー印刷なのか、オリジナルの手書きなのか区別することは至難の業である。この手書き風POPが、各書店の本物の手書きPOPにまぎれてしまえば、誰も「印刷されたものだろうか」などと疑問を持って確認をしないのだ。これは人々の誤解を利用した高等な戦略だといえる。こういったPOP広告を見たら、労を惜しまず紙を手で触ってみて、それが印刷物特有のつるつるした表面をしているかどうか確認しなくてはならない。


おそらく見解が分かれるのは、「(礼儀作法)資格をとることにより能力が向上する」とを信じているか否かという点でしょう。

単純にいえば、わたしはそれを信じていないのです。

例えば、会計や英語であれば、習得すべき項目があり、それをきちんと客観的に計測できるベンチマーク(簿記○級とかTOEIC*00点とか)が存在します。しかし、礼儀作法の場合はどうでしょうか。普通の若者であれば、最低限の礼儀はわきまえているものでしょうし、そこに何らかの研修をしたところで、向上が客観的に測定不能である以上、資格は意味を持ち得ない気がするのです。

さらに重要な点は、その資格を得るのに「コスト」がかかりそうもない、という点です。

例えば、全商簿記1級というのは、簿記に関する能力を保証するものであると同時に、それを取得するためにコストをかけてきた(=努力をしてきた)ということを保証するものでありましょう。まっさらな人間を捕まえて、それと同等の能力を身につけさせるためには、最低でも3ヶ月は必要でしょう。この「コスト」こそが、シグナルを信頼に足るものに変えているのでした。

ここで礼儀作法資格の取得にかかわるコストを考えてみましょう。

もしも、取得にかかわるコストが劇的に高いとしましょう。そうすれば、シグナルとして有効に作用し、資格として有効になるでしょう。しかし、劇的に高いとすれば、対象としている若者はそもそもその資格を取得できず、現状を改善しません。

逆に、取得にかかるコストがそれほど高くないとしましょう。そうすると、シグナルとしては有効に機能しないでしょう。猫も杓子も取れる状況では、そもそも資格としての意味を持ちえません(→戦後の大卒の意味を考えてみれば明らかです。)。したがって、簡単に取れるならば対象としている若者は誰も彼もが資格を取得し、現状を改善しません。(礼儀正しい若年失業者が増えるだけ?)

厚生労働省の意図している方向は理解できるのですが、その手段として(図らずも)その意図と逆行する方向に作用しうるものを採用しているという点が、歯がゆく思われたのでした。

「手書きのPOP」が書けない若者に、厚生労働省が「印刷したPOP」を持たせたところで、状況は改善しないでしょう。

(追記)cheap-talkとは。

http://ha1.seikyou.ne.jp/home/yus/ecolab/game.html#game7

チープ・トーク(Cheap Talk)は、「ゼロコスト、もしくは無視できる低コストでの相互情報交換」を示します。「自分でわざわざコストを負担して発信する情報」である「シグナル」とは、ほぼ反対の意味です。