『銀盤カレイドスコープ』(って本当に面白いの?)

両方とも偶然見つけたのですが、おんなじ作品のレビューとはとても思えなかったのが印象的でした。

前代未聞の「フィギュア」小説『銀盤カレイドスコープ』。

フィギュアスケートというビジュアル的側面が重視される競技を題材にしながらも、それを文字で表現するということについていささかも不自然さを感じさせないどころか、読者にむしろ躍動感すら覚えさせるという点は賞賛に値する。

内容はライトノベル的王道。少女が少年と出会い、成長を遂げていく過程が、鮮やかな筆致をもって描かれている。葛藤・敗北そうした要素も取り込みつつも、重苦しさを感じさせない。そして、中盤以降の爽快感はすばらしいものがある。

ただし、説明的な文章が多々見られてくどいと思われる点など、改善の余地はあるように思われた。

いずれにせよ今後にも期待したい作者である。

物語はフィギュアスケート選手・桜野タズサに、不慮の事故で亡くなったカナダ人の幽霊ピートが100日間だけタズサの体を間借りする形で憑依するところから始まる。しかも、ピートが消える日は冬季五輪ファイナルの日。しかし、タズサはそこにたどり着くためにまず国内の女王・至藤響子を打ち倒さねばならない。

「憑依」−というと、憑依される側には肉体の主導権がないケースが普通だが、今回は肉体の主導権は終始本来の持ち主であるタズサに帰属する。また、憑依されている最中も意識があることから、いわゆる「精神同居」という形になっている。

つまり、技術は高いが精神面での弱さが目立っていまひとつ成果を上げられずにいたタズサが、ピートに精神面から支えられながら、成長を遂げていく物語なのである。

テンションがもっとも高まるのは五輪ファイナルだが、そのファイナルを終えたと思って弛緩した読者に襲い掛かるピートとの別れのシーンは、圧巻以外の何者でも無い。

従来の憑依系作品群との際立った違いは、「肉体の感覚共有」という点にある*1。つまり、タズサとピートは、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚といったすべての肉体の感覚を共有しているという設定で描かれているのである。このため物語の序盤では、

  • 着替えができない
  • トイレにいけない(number 1)
  • ピートの嫌いなものを食べて苦しめる
  • 風呂にいけない
  • トイレにいけない(number 2)

という話が執拗に出てくるが、中盤以降はほぼまったく関係してこない。あまり見ない設定だけに、中盤以降でもこの設定を伏線にした展開が期待された。ところが、実際問題、前半のドタバタを書くため以外にはこの設定はまったく効いていないのだ。

序盤にこの精神同居に伴うドタバタがあるため、ともすると駄作と思われがちであるが、それを乗り越えると目くるめく銀盤の世界(スポ根の世界???)が待っている。冒頭と終盤でこれだけ印象が異なる作品も珍しいのではなかろうか。

それはさておき。

スピード感とカタルシス、という点では、この作品は特に優れている。興味がある方はぜひ。→『銀盤カレイドスコープ』感想リンク集