西尾維新とデータベース的世界観。

西尾維新のおもしろさ、というのは、世界観の構築にあるのではないだろうか、という仮説を立ててみる。

つまり、重要なのはストーリーではなく、そのストーリーを生み出すような世界観なのだ、ということである。このように考えると、統計学的な世界観と良く似ていることが分かる。すなわち、我々は、個々のストーリーを西尾維新的世界からのサンプルとして捉えて、そのサンプルを元に西尾維新的世界の推定をはかろうとしているのだ。

そのような楽しみ方は非常に特殊であるとされてきたが、エヴァンゲリオン以降の世代は、作品をそのように読み解くことに慣らされている、ということが指摘されている。

データベースが存在して、そこからストーリーを切り出す、という設定であれば、もはや戯言シリーズの作者が西尾維新である必要性すらない。
それどころか、設定が公開されている部分については、西尾維新以上に西尾維新的な二次創作が生まれる余地が十分にある。

設定が与えられていながらも、欠落した部分はまだまだたくさんある。そこがどのように埋まるのか。そして、埋めるのは、もしかすると作者でなくても良いのかもしれない、という事実。

とはいえ、作者自身がデータベースを握っている以上、その特権性は失われることはないのである。