ヒトクイマジカル(西尾維新)
読了。もはやミステリではない。当たり前か。
詳しいことはまた後日。『クビシメ』に匹敵する読後感。多分、『クビシメ』が好きな人には受けるのではないでしょうか。
ようやく裏の物語が動き出してきた、という感じ。どうなることやら。
今回の主題は「運命」。
運命とは物語であり、物語である以上その筋書きは存在して、それを読む事ができる。
この設定こそが読者に対する痛烈な皮肉、なのかもしれないが、この筋書きのことを、アカシック・レコードと言うらしい。
アカシック・レコードといえば、それをモチーフとした作品に竹下堅次郎氏の現時点での最高傑作『カケル』がある。
ヒトクイマジカルの西東さんはアカシック・レコードを読もう、とするが、カケルの主人公である台場駆はアカシック・レコード(=劇中では『虚空録』)にアクセスして書き変える、ということをする。
その運命の書き換え、ということがカケルの劇中で持つ意味は非常に大きい。(→『カケル』の中でも「愛情物語」というサブタイトルをもつ一連のサブストーリー参照)
運命は切り開くもの、なのか。それとも、流されるものなのか。