もにょもにょ感について。
「善意の第三者」という言葉は、法律に関するきちんとした教育を受けているか否かで、ひいてはその人のバックグラウンド次第で、読み方がまったく異なるもののひとつだと思います。しかしながら、この言葉は文脈によってどちらの意味で言っているかが明確に捕らえられるケースがほとんどなので、そこにコンフリクトは生じにくいのでしょう。もちろん、正規の教育を受けた人はその「誤用」にもにょもにょ感を抱くのかもしれませんが*1。
「善意の第三者」だと問題が生じないのに、「中二病」だと問題が生じるのは、文脈による読み分けが事実上できないからなのかもしれません。つまり、その新語が生まれるに至った背景を共有している人はそれに乗っかって話を続けることができるわけですが、後からやってきた人たちはそれを共有していないのでそこに自分の文脈をはめ込んで話を続けざるを得ません*2。そこに生じる齟齬が、文脈を知る人の居心地悪さ=もにょもにょ感の原因なのではないでしょうか。