もにょもにょ感について。

「善意の第三者」という言葉は、法律に関するきちんとした教育を受けているか否かで、ひいてはその人のバックグラウンド次第で、読み方がまったく異なるもののひとつだと思います。しかしながら、この言葉は文脈によってどちらの意味で言っているかが明確に捕らえられるケースがほとんどなので、そこにコンフリクトは生じにくいのでしょう。もちろん、正規の教育を受けた人はその「誤用」にもにょもにょ感を抱くのかもしれませんが*1

「善意の第三者」だと問題が生じないのに、「中二病」だと問題が生じるのは、文脈による読み分けが事実上できないからなのかもしれません。つまり、その新語が生まれるに至った背景を共有している人はそれに乗っかって話を続けることができるわけですが、後からやってきた人たちはそれを共有していないのでそこに自分の文脈をはめ込んで話を続けざるを得ません*2。そこに生じる齟齬が、文脈を知る人の居心地悪さ=もにょもにょ感の原因なのではないでしょうか。

*1:経済学に関する正規の教育を受けた人ならば「モラルハザード」についても「善意の第三者」と同じような居心地の悪さを感じる場面に出くわしたことがあるでしょう。

*2:出自がテクニカルタームであるような言葉の場合には、文脈を共有する人の集団の境界が明確なので、専門家対専門家、素人対素人というモードの切り替えが容易なのでしょう。